書籍『本屋で待つ』紹介|物語で学ぶ『聴く』のちから

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何がきっかけで目に留まったかも覚えていない。

どうせ、読書好きの『本』にまつわるネタ探しにお気に入り登録していたのだろう。

そしてたまにはエッセイを読んでみようと図書館で借りて来た本。

それが書籍『本屋で待つ』との縁だった。

読んでみると、『聴く』や『不登校』と私の興味を刺激するものがたくさん詰まっていた。

満を持して読んだ書籍『本屋で待つ』から感じたものは以下である。

  • 物語形式に学べる『聴く』の効果

ここからは多分にネタバレを含むので、本書を読み進めている方は読み終えてから先に進んで欲しい。

エッセイを理屈で分析しているので、その行為に耐えられない方もこちらで引き返すことをお勧めする。

物語形式で学べる『聴く』の効果

私が読んだ限り、本書は『聴く』についての定義をしていない。

そこは実用書とエッセイの違いだろう。

物語からエッセンスを抽出する作業。

それが小説やエッセイを読む醍醐味なのかもしれない。

だから勝手にエッセンスを抽出して、エッセイを読む醍醐味を感じてみる。

定義をしていないとは言え『聴く』について触れている箇所が2か所あったので以下に記す。

  1. 「聞く」は、「話す」や「諭す」といった能動的な行為より優れている
  2. 「待つ」ということは「聴く」ということに似ている

「聞く」は、「話す」や「諭す」といった能動的な行為より優れている

一旦本書を引用する。

 勉強会に参加していた人たちは、みなぼくより歳上だった。彼らは社会人経験も豊富で、「いちえんかい」の塩屋さんのように、人の話を聞くという能力に長けていた。
 それはもともと、そういうパーソナリティーだったというのではないのだと思う。
 彼らは「聞く」という行為の大切さを、こうした勉強会をとおして学び、それが「話す」とか「諭す」といった能動的な行為よりも優れていることを経験的によく知っていた。
 ぼくは彼らになんでも打ち明け、相談した。
 そして、なんでこんなに涙が出るのか不思議なくらい、ボロボロと涙をこぼした。

佐藤友則 島田潤一郎 著 『本屋で待つ』 仲間たち

私は涙した記憶こそないが、人に話を聴いてもらえて心が安らいだことがある。

作中で当事者である佐藤友則氏は打ち明け話ののち、涙している。

涙した理由は定かではないが、文章や私の経験と知識で推察したので以下に記す。

  • 打ち明け話を批判なく聴いてもらえた
  • 体験したことがないようなポジティブな感情を覚えた

叱咤激励ののち、涙した可能性もあるが、文脈よりおそらくポジティブな感情の涙ではないだろうか。

こうやって言語化すると、エッセイを実用書に変換しているようで面白い。

これらを踏まえて本書での『聴く』の効用を抽出する。

  • 聴いてもらえたらなんでも打ち明け、相談したくなる
  • 涙するほどの体験が得られる

まだ『聴く』行為がどういう行為なのかが分かっていないので、次項でみていく。

「待つ」ということは「聴く」ということに似ている

一旦書籍を引用する。

 待つということは聴くということとよく似ています。待てない人はおそらく人の話(心の奥底の想い)を聴けていないと思います……。かつての僕がそうであったように。静かに待つということは案外難しく、特に僕には難しい行為でした。でも、彼ら彼女らの事を理解しようと思えば待つしかなかったのです。逆に言うと、彼ら彼女らが待っていてくれたのかもしれません。
 だって、彼ら彼女らはいつも静かに黙っていましたから。

佐藤友則 島田潤一郎 著 『本屋で待つ』 佐藤友則のあとがき

『待つということは聴くということとよく似ています。』

これは『聴く』行為は『待つ』行為に似ているとも言えるだろう。

『人間は話したい生き物だし、自分のことを分かってもらえることに興奮を覚える』という言説はよく見かけるし、科学的にも正しい。

聴くとは相手の言いたいことを待つとも表現できるのだ。

自分の大事な部分を受け入れてもらえると、人は冒険に出られるのだろう。

『聴く』ことは『待つ』ことで、安全地帯でいること。

本書ではそう教えてくれている。

本書の主な舞台は『ウィー東城店』という地方の本屋である。

『ウィー東城店』はコインランドリーやパン屋など地域に根差した多角経営を行っているのが特徴だ。

その特徴のなかでも私が一番気になった特徴が『不登校の方がアルバイトとして集まってくる』点だ。

佐藤友則氏は始めは対応に難渋していたが、その方たちが出来ないことを指摘するのではなく、やりたくなるのを待っていたように思う。

彼ら彼女らは『ウィー東城店』で店長を務めたり、業務の効率化を図ったり様々な主体性を発揮し始める。

 彼ら彼女らは何故かみんな少しずつ元気になっていきました。楽しそうに仕事をするようになっていきました。

佐藤友則 島田潤一郎 著 『本屋で待つ』 佐藤友則のあとがき

改めて、本書の『聴く』とは相手の存在を全肯定する行為なのではないだろうか。

そして存在を肯定されたことで、聴いてくれた人を応援したくなる。

本書では買い物をしてくれる形かもしれないし、社員として利益をだしてくれることだった。

同じものを買うなら、ここで買おう。

同じ働くなら、ここで働きたい。

『聴く』ことと『待つ』ことにはおそらくそんな力があるのだろう。

本書はそう感じさせてくれる本だ。

『本屋で待つ』の紹介

何を待つの?!誰が待つの?!読み終える分かるとタイトルの秀逸さ。

地方小売店の再生物語として読んでも良し、『聴く』を体験する物語として読んでも良しのエッセイ。

個人的には『聴く』が途絶えるシーンも描かれていると思っているので是非探してほしい。

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