「捕まえる」か、「待つ」か——夏の夕暮れに交錯した沈黙と思考のあいだ
子どもたちだけで義実家へ帰省していたある夏の日のこと。
一本の電話が鳴った。義母からだった。
それは、言葉になっていなくとも、柔らかな、けれど確かなヘルプの合図だった。
そして、この一報が、後に思わぬ効果をもたらすとは、私自身も予想していなかった。
電話の始まりは長男からの一言だった。
「お父さん、迎えに来て」
涙声の奥には、彼なりの強い願いがこもっていた。
義母の話によると、夕方、義実家の軒先で一匹の爬虫類を見つけたらしい。
長男の心は一瞬で決まった。「飼いたい」と。
そう、彼は筋金入りの爬虫類好きだ。
対して、義母はそれを想像するだけで眉をひそめるタイプである。
長男は「今すぐ捕まえて、自宅に連れて帰ればいい」と至極まっすぐな発想をしたようだった。
だが、夜が迫っていた。義実家を往復するには、すでに時間が遅すぎた。
私はふと考えた。
これは一人の少年の熱情と、一家の理性が交差した、小さな、しかし本気のドラマではないか。
冷静を装いつつ、長男にこう提案した。
「おばあちゃんに聞いてごらん。外でなら飼っていいかもよ」
すると、まさかの「OK」の返答。
その瞬間、私の心に一つの答えが浮かんだ。
——なら、今すぐ捕まえて、外で飼えばいいのでは?
だが、その思考はすぐに遮られた。電話の向こうから、義父の穏やかな、けれど確かな声が届く。
「今日は獲りに出ないよ」
それはまるで、家という船の進路を決定する舵のような一言だった。
この家の“風向き”は、どうやら「今は動かない」のようだ。
捕まえるか否かという単純な二択に見えて、そこには、この家の時間の流れや価値観、そして静かな哲学が宿っていた。
私は言いかけた。「一人で出させてあげてください」と。
だが、言葉を飲み込んだ。
ここで私が土足で踏み込んではならない。これは“よその家”の、静かな合議の場なのだ。
思わず叫ぶ。
「お母さん、来てー!」
入浴後の妻を急いで呼び出す。
状況を説明し、電話を代わってもらった。
妻は冷静だった。長男の話を聞きながら、淡々と状況を把握していく。
「おじいちゃんたちがそう言ってるなら、それに従うんだよ」
妻の言葉に、長男は最初は不満そうだったが、少しずつ耳を傾けていた。
その変化は、彼なりの思慮の深さを物語っていた。
実のところ、長男は祖父母の静止を振り切ってまで、外へ飛び出していなかった。
いつもの彼なら、「一人で行ってくる」と言っていたかもしれない。
私は、そんな彼の性格を知っているつもりだし、それを許容している。
けれど今回は、動かなかった。
それが、彼なりに“空気を読んでいた”証だったのかもしれない。
そして、電話の向こうからふたたび、祖父の声が聞こえてきた。
「……一旦、見てみようか」
その言葉に、空気がわずかに変わった気がした。
時間をかけたからこそ、長男は冷静さを取り戻し、祖父もまた、自分の中の柔軟さを取り戻したのかもしれない。
私は、長男に関することなら「すぐに判断を下せるタイプ」だと自負している。
けれど、その判断が“いつも正しい”とは限らない。
速い判断があだとなる時もある。
そして、関わる人が増えれば、状況も風景も変わる。
だからこそ——ゆっくりと考えること、思考を寝かせることには、計り知れない価値がある。
思い出したのは、ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー』のこと。
速い思考と遅い思考。瞬時の直感と、じっくりした熟考。
——その対比を描いた名著だ。
お恥ずかしながら、まだ読んでいない。
でも今こそが、その“読み時”なのではないか。
必ずしも、時間をかければ良いという話ではない。
危険が差し迫る場面では、直感と決断力こそが命を救う。
でも、私たちの暮らしの中で「本当に危ないこと」なんて、そうそう起きるものではない。
むしろ、「即決」よりも「余白」の方が、関係を救うのだ。
問いを持って読む本は、きっと良い学びをもたらしてくれる。
そして読み終えたとき、
——あの夏の夕暮れに揺れていた、爬虫類と少年と祖父母の姿を、
もう少し違った目で見つめ直せるかもしれない。
あとがき:このケースには書籍『反応しない練習』の考え方があっている?
記事を書きながらふと思ったのですが、今回の話って、書籍『反応しない練習』とも通じるところがあるのかもしれません。
この本は今、ちょうど読んでいる最中なのですが、ブッダの教えを切り口に「悩み」と向き合うためのヒントが書かれた一冊です。
まだ未読の『ファスト&スロー』では、おそらく「速い思考」と「じっくりした思考」にはそれぞれ長所と短所があると述べられている(……はず。※未読なので、鵜呑みにはしないでくださいね)。
一方、書籍『反応しない練習』では、「悩みをなくそうとしないで、まずは理解する」という視点から話が展開されています。
ブッダの考え方は、私たちが日頃抱えている「悩み」を「理解する」ことから始まります。①「悩みがある」⇒②「悩みには理由がある」⇒③「悩みには解決策がある」と、順を追って「理解」していくことで、どんな悩みも確実に解決できるというのが、ブッダの合理的な考え方です。
草薙龍瞬 著 『反応しない練習』 第1章 反応する前に「まず、理解する」
私なりの表現でざっくりまとめると、
「悩みは触れてしまうと毒されてしまうもので、そこに薄皮一枚でも距離を置いて、じっくり眺めることができれば、それはやがて“解決できるもの”になる。もしくは、悩みですらなくなることもある」
……そんな感覚に近い気がします。
「悩みをなくそうとせず、まずは理解する」という行為そのものは、まさに“じっくりの思考”ですし、
『反応しない練習』は、そのじっくり思考に、目的地への「方向性」を与えてくれる存在なのかもしれません。
というのも、やみくもに深く考え続けるだけでは、悩みのドツボにはまり込んでしまうこともありますからね……。
(あくまで、これも読書途中の私の予想ですけれどね。笑)
読み終えたら、またこの記事も少し手直しして、あの夏の出来事に、もう一段深い視点を加えられたらいいなと思っています。
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