こんにちは。
3児の父・ぴょん吉と申します。
皆さんは、メールなどで意思疎通が出来なくて苛立つことはないだろうか。
私は妻とそうなることが多い。
メールはあくまで情報の伝達手段である。今回は、その戒めになった話である。
『どうしたい?』
妻が私にあてたメッセージだ。絵文字のない無機質な文だ。
私の祖母が亡くなり、その報告への返事である。妻の返事をもらった時は、無機質な文にいら立ちを覚えた。
妻とは祖父母の弔事への参加について、意見が分かれたことがある。その経験と妻の端的な文は、私を苛立たせるに十分だった。
私と妻とでは祖父母との距離感が違ったのだ。
妻は転勤族だったため、祖父母と少し距離があった。
一方、私は幼少の頃は両祖父母とすぐに会える距離に住んでいた。甘党になったのも、子供好きになったのも祖父母の影響だと思っている。祖父母愛が強めなのだ。
どちらが良いかの話ではなくて、それぞれの距離感があって良い。
お互いの距離感を認めてあげられれば、なお良い。私はそう思う。
妻から返事をもらった時、私一人で子供を連れて帰省するつもりでいた。妻に忌引きをとってもらう前提にはなれなかったのだ。
私は『俺は顔を見に行きたい。子供も連れていきたい。』と返した。私一人で連れて行くとは返さなかった。
『じゃあ、みんなで日帰りコースかな』
でも妻は違った。忌引きを取ってくれたのだ。
「どうしたい?」の文面は、そのままの意味をあらわしていた。妻は私の意向を聞いてくれていたのだ。私は、その文にない感情を読み取っていた。むしろ、妻が込めた逆の感情すら読み取っていたのかもしれない。妻はそんな感情込めていないのにだ。
たしかに味気ない文章だったかもしれない。仕事中だったので、それは仕方ないことだ。
私は感情的になって返信しなかっただけ良かった。無いものに勝手に苛立って、そこに有ったものを失うところだった。
妻がいなければ、落ち着いて葬儀に参列できなかった。本当に出来た妻だ。本当に。
私も妻にとって、そう在りたい思う。妻が居ることを有難く思う。
私は妻とのメールでうまく意思疎通が取れない。そもそもメールで意思疎通を取る必要がないのだ。そう考えると、少なくとも妻とのトラブルは減る気がする。
過去の経験から予測することは大事だが、それが全てではない。年を取るほど、予測に頼っている傾向にあるので気をつけなければいけない。
それでは、またお会いしましょう。
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