話していただけなのに、気づいたらフローに入った話|聴く人の独り言10

聴く日記
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「フロー」という言葉は、前から知っていました。
集中して、時間を忘れて、没頭している状態。スポーツや創作、仕事のパフォーマンス文脈で語られることが多い概念です。

正直に言うと、
自分にはあまり関係のないものだと思っていました。

大家の書籍も積読状態でした。

ところが最近、あるセッションのあとで
「もしかして、あれはフローに近い体験だったのかもしれない」
と思う出来事がありました。

セッション中に起きていたこと

そのセッションで、私は話し手でした。
誰かに話を聴いてもらいながら、自分のことを言葉にしていました。

気づいたら、時間があっという間に過ぎていました。
30分という枠が、体感ではかなり短く感じられました。

不思議なのは、
自分が何をどんな順番で話したのか、正確にはほとんど覚えていないことです。

それなのに、
終わった後には、はっきりとした満足感と幾つかの『大事なこと』だけが残っていました。

「いい時間だった」
理由はうまく説明できないけれど、そう感じたのです。

後から気づいた「フローだったかもしれない」という仮説

その場では、フローに入った自覚はありませんでした。
でも後から振り返ってみると、
フローの条件としてよく語られるものと、いくつか重なっていることに気づきました。

あくまで仮説ですが、整理してみます。

条件① スキルとチャレンジが釣り合っていた

セッションでは、自分のことを話していました。
それ自体は、慣れている行為です。

ただし話題は、
「何か気づきがありそうだけど、まだ深く掘り下げていないこと」。

安全だけれど、簡単すぎない。
わかりきった結論にはまだ至っていないテーマでした。

結果として、
スキルとチャレンジが、わずかにチャレンジ寄りの状態になっていたのだと思います。

条件② 邪魔のない環境があった

聴き手は、私の話を遮りませんでした。
評価もしないし、判断も下さない。

私は途中から、目をつぶって話していました。
視界から余計な情報が入らなくなり、
自然と内側に意識が向いていった感覚があります。

「ちゃんと話していい」
そう感じられる環境が、すでに整っていました。

条件③ 明確な目標があった

私には、はっきりした目的がありました。

「話すこと」ではなく、
話すことで、自分の理解を深めること

「何か気づけたらいいな」ではなく、
正直に言えば
「今日は何か気づいてやるぞ」
くらいの気概がありました。

この主体的な姿勢は、
集中の深さにかなり影響していたと思います。

それでも、まだ確信は持てない

一般的に、フローに入るには
「ある程度の時間が必要」という見方もあります。

今回の出来事は、30分という限られた時間の中で起きたものです。
その意味では、
「本当にフローだった」と言い切るつもりはありません。

ただ、書ききれていない条件も含めると、
かなり多くの要素が揃っていた感覚はあります。

だから私は、
「フローに近い状態だったのかもしれない」
くらいの距離感で、この体験を捉えています。

私の個人的な考え:セッションにおけるフローは話し手側の要因が大きい

ここからは、あくまで私の個人的な意見です。

今回の体験を通して、
セッションにおけるフロー体験は、話し手側の要因がかなり大きい
と感じるようになりました。

たとえば、

「何かしら気づきを与えてほしい」

こうした、どこか受け身で主体性の欠けた態度では、
フローに入りにくいのではないかと思うのです。

少なくとも、私自身はその状態では、
あの深い集中には至れなかった気がします。

一方で、
聴き手にとって本当に大事なことは、
「話し手の語りを邪魔しないこと」
それだけでも十分なのではないか、とも思っています。

ここから導かれる問いは、ひとつです。

主体性の欠ける話し手に、どうやって主体性を持ってもらえるのか?

そしてこの点については、
聴き手にも出来ることがあると、私は考えています。

要は、
「人はどんな環境に置かれたとき、話したくなるのか?」
その問いを前提に、技術を磨いていきたいのです。

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