『道端のゴミを拾う』について家族で考える

育児日記

こんにちは。
3児の父・ぴょん吉と申します。

『ぴょん吉~~~家、家訓!!』

ジャイアントスイングするお父さんを想像したあなたは、話題が合う世代かもしれない。今回はお笑いでもプロレスの話でもない。我が家の決まり事の話である。

皆さんは道端に落ちているゴミを見て、何か考えることはあるだろうか?

一人の時はさほど何も思わないかもしれない。しかし、子供と一緒の時、子供がゴミを気にしていたらどうだろうか。

私は、ゴミを通して長女の将来を考え、我が家の決まり事を作るに至った。少し大袈裟だが、実話である。


長女が年長の頃の話。登園路にあるアパートの垣根に、プラスチックのコーヒカップが落ちていることがあった。それは1週間以上も放置されていた。子供もそれに気づいており、長女は決まりのように「今日も落ちてるね」と言うようになった。

私はそのゴミの存在が、だんだん煩わしくなっていた。なぜなら、そのゴミを見るたびに、そのゴミを拾わない自分が強調される気がしたからだ。子供にはどう映っているだろう。そう思いをめぐらせるのに十分なだけ、ゴミは放置されていた。

私は始め『他人の敷地だから』と拾わない理屈を娘に説明していた。

そのうち、考えは変わっていった。このままゴミを拾わなかったら、長女はどうなるんだろうと考えるようになった。

今後、落ちているゴミを見て見ぬふりをするのか。挙句の果てに、誰かがいじめられていても見過ごすのかなと、飛躍した論理を展開するようになった。

テレビドラマの様に、いじめられっ子を助けたら標的にされるようになるパターンもあるだろう。無くはない話だが、それを回避するために道端のゴミを見過ごせと言うのも違う。

一つだけ分かっているのは、私の言動が確実に長女の言動のお手本になっていることだ。我が娘においては、そう言い切れる。

そうは言っても、目につくごみを手あたり次第拾っていくのは、子供に求めるところではない。ボランティアは身の丈で行って欲しいと、子供に願う。

それなら我が家なりの屁理屈をこねようと思った。私の得意分野だ。

『自分の大切な場所については、ごみを持ち帰る』のはどうだろうか。これなら手あたり次第に、ゴミを拾わなくて済むだろう。

妻にもプラスチックのコーヒーカップの話からしてみた。「それ、良いんじゃない」と良い反応だった。

曖昧な設定だと問題が起きるだろうが、その都度詳細を考えていけば良い。長女の『大切な場所』についても、長女が判断していけばいい。私も興味がある。

保育園の帰り道。娘にその話をしてみた。なんとなく話は伝わったと思うが、プラスチックのカップはいつの間にか無くなっていた。プラスチックのカップは、長女の初めて拾うゴミにはならなかった。

先日、びっくりする出来事があった。小学校に入学したばかりで、まだ私が登下校に付き添っていた頃だ。

道端に2Lの空ペットボトルが落ちていた。前を行く長女の友達がペットボトルを拾い上げ、集合住宅の垣根に投げたのだ。あまりの自然さに驚いたが、長女はそれを指して「これ拾う?」と尋ねてきた。長女の友達に感じた驚きは、一気に吹き飛んだ。

長女の初めての申し出を、私は「大きいからやめとこう」と謎の屁理屈で流してしまった。

帰宅後、自分の言動の矛盾に気づき「やっぱりあのごみは、捨てた方がよかったね」と前言を撤回した。「次見つけたら持って帰ろうか。」と長女と対応を決めた。

翌日、娘は帰宅後「あのペットボトルはなくなってた」と報告してくれた。私はそのことを忘れていたので、娘の言葉にはっとした。長女はゴミを探したのだろうか。

親の方が徹底できていないとは、なんというばつの悪さか。


プラスチックのカップから始まった、我が家の決まり事。一家の決まり事なんて、だいたいこんな風にできるのだろう。

我が家の決まり事が屁理屈で終わるか、家訓になるかは分からない。ただ、長女に響いているのだけは確かだ。

私も自分の大切な場所について考えるとしよう。

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